プロジェクトストーリー

プロジェクトストーリー

東日本大震災からの復興、
タイからの発電機移設
プロジェクト

PROFILE

東京エネシス 電力本部
運営・企画グループマネージャー
1994年入社 工学部 機械工学科 卒
池田 幸一郎

東日本大震災からの復興、
タイからの発電機移設
プロジェクト

PROFILE

東京エネシス 電力本部
運営・企画グループマネージャー
1994年入社 工学部 機械工学科 卒
池田 幸一郎
PROJECT STORY 01

東京エネシス全社を挙げての
復興プロジェクト

2011年3月11日、日本の観測史上最大規模の大地震が発生した。東日本大震災である。震災による直接の被害だけではなく、日本のインフラは深刻な打撃を受けた。電力も例外ではない。復興に向けて世界各国が援助の手を差し延べてくれたが、その中にタイ政府によるガスタービン発電設備2台の無償貸与があった。現地で休止中の設備を解体して、船で日本へ運び、据えつけるのだ。ゴールデンウィーク前の打ち合わせで、1台は川崎火力発電所に、もう1台は大井火力発電所に設置されることが決まった。大井側の受け入れプロジェクトで、機械部門を担当したのが池田幸一郎である。 「なんとしても電力需要がピークに達する夏の内に間に合わせたい。8月15日を期限に定めました。そこから逆算すると、まったく余裕がありません。よく『不眠不休を余儀なくされる』と言われますが、あの時ばかりはそれに近い状態でしたね」と、池田は振り返る。 当然、大井現業所にいる人員だけではとても足りない。東京エネシスの全ての部署からプロジェクト参画者の希望を募った。東北の被災地から避難してきた社員たちも、積極的にメンバーに加わってくれた。社内の受けとめ方も、最初は「本当にできるのか?」だったのが、「どうしてもやらなくてはならない!」へと変わった。協力会社の作業員も含めて、5月から8月にかけて延べ数千人が、電力確保のために汗を流すことになった。

projectstory1

2011年3月11日、日本の観測史上最大規模の大地震が発生した。東日本大震災である。震災による直接の被害だけではなく、日本のインフラは深刻な打撃を受けた。電力も例外ではない。復興に向けて世界各国が援助の手を差し延べてくれたが、その中にタイ政府によるガスタービン発電設備2台の無償貸与があった。現地で休止中の設備を解体して、船で日本へ運び、据えつけるのだ。ゴールデンウィーク前の打ち合わせで、1台は川崎火力発電所に、もう1台は大井火力発電所に設置されることが決まった。大井側の受け入れプロジェクトで、機械部門を担当したのが池田幸一郎である。 「なんとしても電力需要がピークに達する夏の内に間に合わせたい。8月15日を期限に定めました。そこから逆算すると、まったく余裕がありません。よく『不眠不休を余儀なくされる』と言われますが、あの時ばかりはそれに近い状態でしたね」と、池田は振り返る。 当然、大井現業所にいる人員だけではとても足りない。東京エネシスの全ての部署からプロジェクト参画者の希望を募った。東北の被災地から避難してきた社員たちも、積極的にメンバーに加わってくれた。社内の受けとめ方も、最初は「本当にできるのか?」だったのが、「どうしてもやらなくてはならない!」へと変わった。協力会社の作業員も含めて、5月から8月にかけて延べ数千人が、電力確保のために汗を流すことになった。

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PROJECT STORY 02

図面は青焼き原図、錆の浮いた部品、
その条件でベストを目指す

土地があればすぐに設備を設置できるわけではない。それに先だって基礎の造成が必要だ。その工程はゼネコンが担当するが、その基礎工事と設備建設工事とのタイミングの調整も大変だった。基礎工事が進む横で、すでに基礎ができたところから設備の設置を始めたいのだが、スペースが限られているため、資機材の出入りなどの効率を十分に考慮しなければならない。これが第一のヤマ場だった。 第二のヤマ場は図面の手配だ。タイの設備は20年前に建造されたものである。機械屋の池田にとって装置がどういうものかを図面で確認するのが先決だが、図面が届くよりも先に、設備が届いてしまった。「大井の護岸に船が着いたと連絡がきて、いよいよ本格的に始まるぞという気持ちがあるのに、構造がわからない。焦りましたね」。 ようやく図面が届いたものの、CADデータではない。昔使われていた青焼きの原図、しかも使われている言葉は英語だ。すでに荷揚げされた部品と図面とを照らし合わせながら構造を把握するのは、まるでパズルを解くようだった。 「タイの厚意は大変ありがたかったのですが、私たちが普段扱っている設備と比べ構造的な違いがあり、一部の部品に老朽化も見られたので、ちゃんと発電できる状態か不安もありました」 。しかし、いまは緊急事態。ここにあるもので、できる限りを尽くさなければならない。池田たちの挑戦が始まった。

projectstory2

土地があればすぐに設備を設置できるわけではない。それに先だって基礎の造成が必要だ。その工程はゼネコンが担当するが、その基礎工事と設備建設工事とのタイミングの調整も大変だった。基礎工事が進む横で、すでに基礎ができたところから設備の設置を始めたいのだが、スペースが限られているため、資機材の出入りなどの効率を十分に考慮しなければならない。これが第一のヤマ場だった。 第二のヤマ場は図面の手配だ。タイの設備は20年前に建造されたものである。機械屋の池田にとって装置がどういうものかを図面で確認するのが先決だが、図面が届くよりも先に、設備が届いてしまった。「大井の護岸に船が着いたと連絡がきて、いよいよ本格的に始まるぞという気持ちがあるのに、構造がわからない。焦りましたね」。 ようやく図面が届いたものの、CADデータではない。昔使われていた青焼きの原図、しかも使われている言葉は英語だ。すでに荷揚げされた部品と図面とを照らし合わせながら構造を把握するのは、まるでパズルを解くようだった。 「タイの厚意は大変ありがたかったのですが、私たちが普段扱っている設備と比べ構造的な違いがあり、一部の部品に老朽化も見られたので、ちゃんと発電できる状態か不安もありました」 。しかし、いまは緊急事態。ここにあるもので、できる限りを尽くさなければならない。池田たちの挑戦が始まった。

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PROJECT STORY 03

それまで経験したことのない
ハードワークを乗り切れた理由

現場での作業が始まったのはゴールデンウィークが明けたころ、すぐに雨が降り出して気温が急激に下がった。工事は夜も続いていたので、震えながらの作業もあったという。タイから設備が届くころに強い日差しが射すようになっていた。今度は汗を流しながらの作業である。「ふと気づくと、手は日焼けしているし、鏡を見るとヘルメットの顎ひもの痕がくっきりとついている。私服に着替えても、工事現場から来た人間だと一目で分かるんですね」と、池田は苦笑いをする。 いままで経験したことのないハードワークの日々だった。「しかし最後まで挫けずに済んだのは、自分よりも年輩の大御所たちが率先して動いている姿を見て、発奮させられたからでしょうね。中には、すでに定年でリタイヤなさっていたのに、このプロジェクトのために駆けつけてくれたベテランもいらっしゃいました」 。川崎火力発電所でも、タイからの発電設備移設プロジェクトが同時進行していた。情報交換をしながら追いつ追われつの展開となり、それも池田を励ましてくれた。「とにかく走り続けていた印象しかないですね。7月半ばに消防署での審査が通り、ようやく一段落、あと一息だと思える余裕が出ましたね」 。取り掛かった時は極めて高いハードルに思えた期限の8月15日だったが、予定より1日早く竣工でき、15日には試運転ができていた。「やり抜いたことが自信につながりました。ただし、もう一度やれと言われたら逃げるでしょうね」と、池田は満面の笑みで締めくくってくれた。

projectstory3

現場での作業が始まったのはゴールデンウィークが明けたころ、すぐに雨が降り出して気温が急激に下がった。工事は夜も続いていたので、震えながらの作業もあったという。タイから設備が届くころに強い日差しが射すようになっていた。今度は汗を流しながらの作業である。「ふと気づくと、手は日焼けしているし、鏡を見るとヘルメットの顎ひもの痕がくっきりとついている。私服に着替えても、工事現場から来た人間だと一目で分かるんですね」と、池田は苦笑いをする。 いままで経験したことのないハードワークの日々だった。「しかし最後まで挫けずに済んだのは、自分よりも年輩の大御所たちが率先して動いている姿を見て、発奮させられたからでしょうね。中には、すでに定年でリタイヤなさっていたのに、このプロジェクトのために駆けつけてくれたベテランもいらっしゃいました」 。川崎火力発電所でも、タイからの発電設備移設プロジェクトが同時進行していた。情報交換をしながら追いつ追われつの展開となり、それも池田を励ましてくれた。「とにかく走り続けていた印象しかないですね。7月半ばに消防署での審査が通り、ようやく一段落、あと一息だと思える余裕が出ましたね」 。取り掛かった時は極めて高いハードルに思えた期限の8月15日だったが、予定より1日早く竣工でき、15日には試運転ができていた。「やり抜いたことが自信につながりました。ただし、もう一度やれと言われたら逃げるでしょうね」と、池田は満面の笑みで締めくくってくれた。

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